極端な自己責任論は人を不幸にする
へいどうもヘモヘモビンです
蒸し暑く寝苦しい夜が続きますね
こういう季節だとちょっと動くだけで滝のように汗が流れます
そしてTシャツもズボンも靴下もびしょびしょになりますが、汗そのものは決して汚くないのでヘモヘモビン=不潔という見方はやめてください!
ここ10年でやたら耳にする「自己責任」という言葉について私なりに思う事を書けたらと思います
そもそも自己責任とはなにか
責任 - Wikipedia 自己責任
第一に、「自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う」という意味がある。「お互いに他人の問題に立ち入らない」という価値観によるものである。アメリカ社会における国家観に立脚した行政改革・司法改革による事後監視、事後救済社会における基本原則の一つである。もっとも、この原則は十分な情報と判断能力がない場合には妥当しない。
第二に、「個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う」という意味がある。個人は他人の行為に対して責任を負うことはなく、自己の行為についてのみ責任を負うという近代法の原則のことである。
第三に、「個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う」という意味がある。何らかの理由により人が判断能力を失っていたり、行為を強制されている場合は、本人の選択とは断定できないため、この限りではない。
以上。
こういう風に見ると世間で広く使われている「自己責任」とは違い、なかなか納得できる部分も多いなと感じてしまう
特に判断能力がない場合には妥当しないという部分は、極端な自己責任論とは相反するものではないでしょうか
極端な「自己責任」としては
病気になったのは自己責任だ!とか
金がないのは自己責任だ!とか
損したのは自己責任だ!
みたいなイメージです
「自己責任」という言葉自体は極めて正論
上で引用した自己責任についての説明に判断能力の有無とありましたが、そういった線を引くことによって自己責任という言葉の受け取り方はだいぶ変わってきませんか?
少なくとも全ての結果は自己責任だ!という極端な考えからは脱却できるはず
私自身は「自己責任」という考え方に肯定的です
しかしそれは極端な意味合いでも結果という意味でもなく、自分で考えて自分で決める事に対しての責任と、その結果を見てどこが自分の責任かをしっかり精査することです
自分で考えて自分で決めるには知識や見識が必要ですし、決めるにしたって物事によっては即決即断とはいきません。
責任自体は自分で負うものであり、誰かの言葉や態度によって負わされるものではありません
しかし、「極端な自己責任論」は人に責任を背負わせるものなのではないでしょうか?
極端な自己責任論を持つ人は関わる人を不幸にする
ここ10年以上で自己責任論は高まり、実際に自己責任社会で熾烈な競争の末生き残った人も多くいます
極端な自己責任論を持つ人が他人に対してするアドバイスに責任などありません
これは別に悪い事とは思いませんが受け取る側は見極める必要があります
極端な自己責任論は結局責任は自分(あなた)にあるんだよ。という問答無用の論理なのではないか
これは相手に対する究極の無関心とも言える考え方ではないかと私は思っています
極端な自己責任論は全ての物事やその時々その人の事情を一切鑑みず
「自己責任だから」
で終わらせてしまう魔法の言葉となってしまいます
自己責任は正しい用法でお使いください
自己責任の正しい用法なんて人によって違いますよね。笑
だからこそバランスとか客観性が必要かなと思います
物事の背景や人の事情とが複雑に絡み合う中で、全てを自己責任だと断ずるのはちょっとお待ちくださいと言わざるを得ません
まずは冷静になって自分が悪かった点とそうでない点を客観的に見つけて、悪かった点はしっかり反省して次に繋げましょう!
そうでない点もなぜそうなったのか思慮を巡らせてみると、また違った角度で物事が見えてくるかもしれません
例えば相手の立場になって考えてみる。とか
自己責任の良いところ
自分の間違いを見つけて反省して次に活かすチャンスになること!
私はこれに尽きると思います
誰かを傷つけたり仕事でミスしたり上手く行かない日々が続く時は、まずなにが悪かったのかどうすれば良かったのかをしっかり見直して
自分なりに考え結論を出し、思いを巡らせて次に繋げる。これが自己責任の良い部分です!
もちろん、自分がしでかしたことが大きければ大きいほど自己嫌悪してしまうかもしれませんが、それを乗り越えて糧にすることが大切だし、自己責任の良い点とも言えますよね
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